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海に生きる八幡暁の”足元サバイバル”#2~「水」を知ることから始めよう~(2ページ目)

都市で生活することと、自然の中で生活すること。

多くの人は都市で仕事をして暮らしています。子供も都市にいます。学習塾はあたりまえ。ブラスアルファで他の習い事もしている子が多いと聞きました。勉強にしろ、スポーツにしろ、あらゆることに明確な目的があります。多くの時間は、目的達成のための最短距離を走ることに費やされがち。それゆえに「忙しい」、そして数値化されないことが「無駄」という扱いになっているのではないかな……。

おそらく場所の問題ではない。コンクリートに囲まれていても、スラムでも、野生溢れる自然の中でも、どこに暮らしていても子供たちは半径2キロくらいの行動範囲の中で遊んでいたからです。

反面、都市生活で忙しい人でも、体験を通して知らないものに触れ、感動したり、恐れおののいたりしたい。自分は仕事で無理でも、子供にはそうした体験もして欲しい、本来の学びを感じてもらいたいとも願っているのです。

一方では費用対効果の効率化を狙うような暮らしと、もう一方では、個々が活かされる暮らし。両立することは可能でしょうか?

子供にとっても大人にとっても、どちらがハッピーなのか。これは誰にもわかりません。おそらくどちらでも良いのでしょうし、どちらでもないかもしれません。時代によっても、環境によっても変わってくることでしょう。一つ言えることは、親や先生、近所にいる周りの大人によって子供の生き方は、大きく変わるということです。

いろいろな旅をしてきて、感じたことがあります。「遊びを通して、個々が本能的に楽しいことを発見し、その体験がベースにあったうえで、次の成長があり、それが周囲の人間関係の中で生かされることこそが、本質的な喜びに繋がる」というようなこと。つまり、「時間」「場所」「共有」この三つが、どこに暮らしていても必要なのではないか。時間に追われ、孤立化して楽しげである場所は見たことがありませんでした。

現代の社会のあり方を否定するつもりはありません。明日、生きられるかわからない、生まれた子供が死んでしまう、生まれながらにして奴隷は一生奴隷、そうした時代と比べたら、今はどこに居ても天国のようです。この暮らしは、先人の知恵の蓄積のおかげです。

しかし、かつてはあった緩やかな時間の流れや、創意工夫しながら遊ぶ場所、集まる地域が都市生活では希薄になりがちであることが、何か満たされなことや、未来への不安を生み出しているのではないかと思うのでした。

それなら、わたしに何が出来るのか?

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