100人の感謝祭に
この2日がかりの塩焚きは、感謝祭という名をもって翌日の昼には100人近くの仲間が集まりました。
あるものでやる、ということが参加条件。魚を釣ってきた人、朝から野草を採ってきた人、山芋の芽が入った“むかごご飯”を炊いてきた人、タコを獲ってきた人、庭の畑のバジルでペーストを作ってきた人……etc。多種多様な食材が集まり、100人食堂ができたのでした。
採ってきた野草をさっと湯がいて、塩をつけて食べてみれば、それだけでも美味しいから不思議です。
油を通して素揚げにし、塩をふればもう何もいりません。なんてことはないはずなのに美味しい。塩と油の奇跡とでも言いましょうか。そしてそれらは見向きもしなかった身近な足下からの恵みであるという事実を、理屈をふっとばして感じたのでした。
どうあれ、皆が喜び、皆が舌鼓を打った。たかが塩作り。されど塩作り。この町の感謝祭になったのでした。
地域の仲間と知る、生きるための要素
塩を作る過程、食べ物を得る過程には、生きるために必要な要素がたくさんあります。その中には、遊びの要素もたくさんありました。
生きるためにやるべきこと、手足を動かすこと、その中には、わくわくすることが散りばめられています。それはアウトドアという言葉で日常と非日常を区別するものでも、形容するものでもなく、外の自然と内なる自然とを繋げるものだったのかもしれません。
そうした実体験を個人としてでなく、地域の仲間と少しづつ取り戻していくのでした。