生きることと遊ぶこと
逗子を拠点に、足元で遊び始めて月日が経っていきました。毎日のように子どもたちと海で遊びます。
ボディーサーフィン、おにごっこ、ビーチサッカー、ドッジボール、野草探し、崖登り、水源探し、魚釣り、時には川から海まで下ってみたり、波打ち際に漂流してきた海藻を食べてみたり。
日々の遊びの中で、暮らしや自分を支える土地の意味が変わっていったように思います。
きっかけは素朴な疑問から
「食べ物は採れるようになったけど、調味料って作れないかな?」
「味付けって、何が基本だっけ?」
どこからともなく、そんな声があがります。すぐ頭に浮かぶのは、醤油、味噌、油……etc。
ニンニクやショウガ、胡椒、魚や甲殻類といった動植物のエキスを抽出するのは旨味の基本です。自分が旅しているとき、現地の人達は味付けに何を使っていたか……。
塩のことを意外と知らない
思い返すと、どこでも海水を上手に使っていました。つまり、塩を使っていたのです。醤油にしても、味噌にしても塩が鍵。味付けだけでなく、熱帯直下、電気もない生活環境でありながらも保存のために塩を使っていました。
人間には塩が絶対的に必要、そんなのは当たり前のこと。頭ではわかっていても、実際には作り方すら知りません。
逗子でもかつては京都のように
昔の都でもある京都には、塩を運ぶ道として「塩街道」と呼ばれる道がありますが、私が拠点にする海のある逗子も古都鎌倉の近くです。きっとそうした道があったことでしょう。だとしたら、日常に必要な塩焚きは行われていたはず(逗子塩などいう言葉は聞いたことがありませんが)。
「スーパーから買ってくるのでなく、この町で採れる塩と食材で、バーベキューしたらおもしろそう」
思い立ったらすぐ行動。子どもたちと塩作りをすることになりました。