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海に生きる八幡暁の”足元サバイバル”#3~故郷の川、多摩川~(2ページ目)

上流域から中流域に入ってくると……

多摩川の中流域

出典:pixta ※イメージ画像。場所は川崎市の二ヶ領上河原堰です。

河川から住宅が見えるようになってきます。河川のカーブも減ってきました。それでも河川敷は石ころの河原です。しかし、堰堤が増えてきました。カヤックを担いで河原を歩かねばならず、嫌気がさしてきます。これでは魚も遡上しづらいだろうな。川の水は、確かに綺麗になっていました。カヤックの上から魚も見られます。時にはコイにカヤックどつかれたりも。釣り糸を垂らせば、いろんな魚がいそうです。

平地のエリアに入り、河川敷が広くなってくると、身の丈以上の高さの土手が両岸に見えます。増水、洪水を防ぐ為のものです。わたしが生まれた1974年には多摩川が氾濫し、わたしの抱っこして逃げた話を祖母から聞いたのを思い出しました。

立川付近を越えてくると、土手には、ランニングする人やお散歩する人がいます。グランドでは、学生が部活動をしていました。河川敷が広くなり、造成され、憩いに場になっています。土手の向こうには、高層のマンションが見えました。川と河川敷の間には、背丈以上の草が生い茂り、水辺を隔てているような場所も見られます。

下流域に近づくにつれ、川からの眺めや流れは単調になってきました。これが多摩川河口まで続いていくのです。

東京湾に出るころには、ほぼすべてがコンクリートで囲われていました。

多摩川河口付近

出典:pixta ※イメージ画像。場所は多摩川河口付近です。

下水の臭いも漂っています。けっして快適ではありませんが、人工物の大都会を水辺側から眺めるという面白さはありました。水辺から眺めると、全てがおもちゃのようにも見えます。羽田空港に飛行機が埋め立てられた東京湾に降りていくのが、何か現代の象徴のようです。

ここでは、かつて低湿地が広がり沢山の海苔や貝、魚が獲れていたはずです。その海産品を小舟に乗せて往来があったことを想像しました。品川、川崎、横浜、どれも昔の河口の名残が地名が物語っています。暮らしと直結する河口域を埋め立てることの意味を、今更ながら少し考えさせられる気がしました。

そんな現代ですが、多摩川が奇跡の復活を遂げ、生き物に溢れているというニュースを耳にするようになりました。高度成長期には生汚水が河川へと垂れ流しになっていた為、生き物が激減していましたが、下水道が完備され、水質がよくなり、河川敷もただのコンクリートではなく、環境に配慮したものに変えていく努力が実り始めたということでしょうか。

その象徴が、鮎の遡上でした。

実際、河口域を見てみて、あれでも鮎が復活したのか、と鮎の生命としての強さに驚嘆しました。かつては幕府にも献上されていた多摩川鮎です。この鮎を東京の人が日常的に口にする日は来るのでしょうか。

かつてあった人と川が近い暮らしがあってこそ、その土地の環境が守られていたと言って良いかもしれません。今も、確かに暮らしは川の近くにありました。川の近くに住んでいて、川の近くの陸地が憩いの場にもなっています。しかし、川と人の接点が見当たりません。川から食料を獲ることはありませんし、遊び場にもなっておらず、飲料水がどこから来てるかを感じることも希薄である気がしました。

暮らしの恵み(危険をもたらすことも含め)をもたらす掛け替えのない自然あるというのは、都市生活に埋没しています。山登り、スキー、キャンプ、サーフィン、etc…アウトドアの体験すら消費の対象になり、足下の存在に確かな手触りがない気がしました。

環境が大切、自然を守ろうという知識が先行しても、何かが欠けている。何かが疎か……そんな状況になっていないか? これで現代の暮らしと地球の折り合いはつくのかなと疑問が大きくなります。

いや、そんな大きなことを考えなくても良い、自分の暮らしている場所くらい、自分たちでちゃんとすることから始めれば良いだけじゃないかな。

都会に戻ってきて、多摩川を漕ぎ下ってみて……。

それは子供の頃と変わらず楽しかった。それ故に関心も新たに生まれてきました。水辺が、もっと近くあることで、都会の暮らしも何かが変わるような気がしたのです。

子供が塾やスポーツに一生懸命になることは良いことだけど、創意工夫次第でただ楽しい(怖い)、そんな時間を過ごせるフィールドを取り戻したいな、そこから何か大事なこと担保されていくんじゃないかな、そんな思いが湧いてくるのでした。

~#4に続く~

八幡暁さんの第一回連載はこちら

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