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【アウトドアで働く人】元A&Fの名物広報・牛田浩一さんが「アウトドアの何でも屋」に至るまで

A&Fを経て、2014年にアウトドア専門のアタッシュドプレスとして独立した牛田浩一さん。様々なアウトドアアクティビティにも精通する“アウトドアの何でも屋”として唯一無二な存在ですが、どのような経緯で今働き方に至ったのでしょうか? 埼玉県にあるアトリエで話を伺いました。

目次

多趣味がゆえの「アウトドアの何でも屋」

商品開発からマーケティング、撮影ディレクション、イベント運営まで、アウトドアブランドのプロモーションに関することは一通りやっています。“アウトドアなんでも屋”と呼ばれる所以ですね

と話すのは、アウトドア専門のアタッシュドプレス(広報)として活躍する株式会社B.O.Wの牛田浩一さん。

ギアに関する豊富な知識はもちろん、様々なアウトドアアクティビティにも精通している実践派で、業界では“ウッシー”の愛称でおなじみです。

キャンプからカヌー、登山、トレラン、スノボ、釣り……、一度始めたことは辞めずに続けてきたことがよかったのかもしれません。その経験が今の仕事にすごく役立っています

多趣味の父親に影響を受ける

牛田さんがアウトドアを始めたのは小学校低学年の頃。父親が有名なキャンパーズクラブに入会したことがきっかけだそうです。

今思うと、父親は相当ディープなことをやっていました。ワンボックスを改造して車中泊仕様にしたり、釣りや登山、カヌーなど、いろんなアウトドアアクティビティを経験させてもらいました。
で、その後は化石掘りに没頭(笑)。採掘にも何度か行ったことがありますが、実家の庭には化石がゴロゴロ転がっていました

アウトドア英才教育を受けて育った牛田さんですが、「高校時代はインテリアデザイナーになりたかった」と笑います。

アウトドアとは真逆の世界ですけど、当時、部屋の模様替えやカスタムが大好きだったんです。大学も受験したけどインテリアの専門学校へ進学して、卒業後は中堅の内装施工会社に就職しました。でも、休みがまったくなくて、フィールドに行く時間がなくなってしまって……。1年もたずに退職してしまったんです

20代の頃に近所のアウトドアショップで購入したOPTIMUSの8R(エイトアール)はいまでも現役

憧れていたインテリア業界で酷い現実を目の当たりにした牛田さんは、気晴らしにバイクで北海道までツーリング。さらにはザックを背負って青森まで放浪したりと、疲弊した心身をアウトドアで癒やしていたそうです。

やっぱアウトドアっていいなと改めて感じて。両親にも心配かけられないので、とりあえずアウトドアショップでアルバイトしようと思ったんです。けど、近所のショップはどこも断られちゃって。そのときに見つけたのがA&Fの募集だったんです

A&Fのショップスタッフから初代広報へ

当時のA&Fは店舗数を広げるタイミングで、オープンスタッフ募集だったそうです。

専門学校が新宿にあったので、大久保の店にはよく通っていました。グレゴリーとかバブアーの品揃えがA&Fは充実していたので。お金を貯めて買ってましたね

面接は無事合格し、21歳のときに柏のマルイにできたインショップに配属。その後、横浜、大久保(本店)、代官山での店舗スタッフを経て、2000年頃から本社と店舗を行き来する広報担当として働くようになります。

A&F時代、若かりし頃の牛田さん

当時のアウトドア業界って、広報担当がいる企業はほとんどなかったと思います。A&Fでも専任のスタッフはいませんでした。
2000年頃、僕が兼務で対応をしていたんですけど、知り合いのスタイリストにリースしたグレゴリーのバックパックがTVドラマで使われたんです。そうしたら大ヒットしまして。それがきっかけで、A&Fの初代広報になりました

その後、2014年までの計19年間をA&Fで過ごした牛田さん。印象に残っているエピソードを伺うと、創業者の赤津孝夫さんの名前が挙がりました。

エイアンドエフの創業者で現会長の赤津孝夫さん
出典:株式会社エイアンドエフ

面接で会ったときはうれしかったですね。雑誌の中で見る人だったので、芸能人に会うより緊張しました(笑)。
アウトドアを何でもやる人で、本当に多趣味。彼がよく言っていた『北は流氷から、南はサンゴ礁まで。こんなに縦に長い国は日本以外にない。海外もいいけどまずは日本に目を向けるのもいいぞ』という言葉は今でも心に残っています

40歳でアウトドア専門PRとして独立

30代の半ば頃から独立を考えていたという牛田さん。仕事で訪れていたアメリカのアウトドアショーを見ているときに、日本でアウトドア専門のPR会社ができるんじゃないかと思ったそうです。

当時、アメリカにはアウトドア専門のPR会社が数社あったんですけど、ほとんどのブランドがこれらの会社にお願いしている状況でした。一方、日本のPR会社はファッション系が中心だったので、いけるんじゃないかと。ちょうど40歳になるタイミングで会社を辞めて独立したんです

いろいろと心配はあったといいますが、「好きなブランドを応援したい」という想いが伝わり、独立してすぐにMSRを扱うモチヅキと契約。それ以外にも、複数のアウトドアブランドからの依頼があり、軌道に乗せることができたそうです。

独立当初は頂いた仕事は断らずにすべて受けていましたが、すぐにパンパンになってしまって……。今はようやく上手に仕事を回せるようになったので、やりたいことができています。
いろんな仕事をやっていますけど、中でも好きなのは製品開発。フィールドでの経験とギアの知識が活きるんです

牛田さんが開発に携わったベルモンテの焚き火ブロウパイプ

アウトドア業界で働くための心得

アウトドア業界に長年身を置く牛田さんですが、「とにかく遊び尽くしたほうがいい」とアドバイスします。

冬はスノボや雪板を楽しむ牛田さん。「始めても辞めないから、道具ばかり増えていきます(笑)」

僕のモットーは『四季を節操なく遊ぶ』こと。日本人って、登山だけ、MTBだけと、それしかやらない人が多い気がして、すごくもったいない。
赤津さんが言ったように、日本は四季があって縦に長いフィールドがあるので、日本を遊び尽くすくらいなんでもやる方がいいと思うんです。それが経験値になるし、自分のアウトドアスキルも上がります

2024年、人生初となるマグロ釣りを経験したときの様子
見事に釣り上げてご満悦の牛田さん

インテリアの専門学校のときに講師の人から「広く浅くをちょっとずつ掘り進めれば、広く深いものになる」と言われたんです。だから、僕は気になることは手を付けて、辞めずにずっと続けてきました。それもあって、アウトドア業界で何でも屋として働けているんだと思います

多趣味の牛田さんですが、老後に向けて残している趣味もあるとのこと。なんでも、20代のときに趣味が多すぎたため「50までにやりたいこと、50からでいいこと」に分けたそうです。

最近はラジコンも再燃中。「時間がなくて、組み立てていないのがたくさんあります」

まずは登山。年をとってからのほうが時間もお金もあるから、ゆっくり縦走が楽しめるかなと思って。
あとはアウトドアと少し離れますが、ハーレーですかね。バイクは16歳から乗っていますが、そろそろ大型もいいかなと、50歳の記念に免許だけでも取ろうと思います

アウトドア業界は、充実した余暇をユーザーに提供することが仕事。牛田さんのように、いろいろと経験し、その知識やスキルを活かしていくことが大切なんですね。

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