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【アウトドアで働く人インタビュー】メンズノンノ専属モデルから「焚き火マイスター」へ。猪野正哉さんの波乱万丈人生

アウトドアに関連する仕事の中でも、焚き火を生業にしているのは猪野正哉さんをおいて他には聞いたことがありません。

「焚き火マイスター」という不思議な肩書きは「マツコの知らない世界」に出演するきっかけにもなったそうですが、はたしてどのような経緯で今の仕事に就くことになったのか。

人生、山あり谷あり──猪野さんの波乱万丈な半生を語ってもらいました。

目次

モデルがなぜ焚き火をはじめたのか?

猪野正哉さんは1975年千葉県生まれ。

モデル、ライターとして活動した後、2015年(当時40歳)に焚き火専用のフィールド「たき火ヴィレッジ〈いの〉」を千葉県千葉市にオープン。

以来、「焚き火マイスター」の肩書で、焚き火の監修や焚き火ワークショップ、焚き火検定の運営といった活動をされています。

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

2019年2月には「マツコの知らない世界(フジテレビ)」に、“元メンズノンノモデルで焚き火マイスターという不思議な経歴を持つ男”として登場。

アウトドアブームとあいまって、瞬く間に業界でその名が響き渡りました。

しかし、猪野さんのお仕事経歴を深堀ってみると、なんとも波乱万丈……。

モデルからアウトドアの世界へ、その道のりには何があったのでしょうか? 猪野さんの半生を振り返りながら、アウトドアで働くことについて教えてもらいました。

華やかな世界から転落した20代

中高時代はサッカーに夢中だったという猪野さん。現役では大学に受からなかったものの、浪人生活に入るや「メンズノンノ(集英社)」の専属モデルに合格。

聞くと、当時の彼女が冗談半分に応募してしまったんだとか。

モデルになりたかったわけではないんですけど、撮影現場に行ったりすると同世代も多くて楽しくて。

浪人生なので勉強しなきゃいけないんですけど、まぁ、できなくなりますよね。結局、二度目の大学受験は失敗してしまって、そのまま専属モデルとして働き続けました

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

メンズノンノとの専属契約だった2年間はあっという間に過ぎ、21歳だった猪野さんは将来が見えないままフリーランスのモデルとして独立。

アルバイトの掛け持ちをやりながら、ライターの仕事もはじめていきます。

ポパイ(マガジンハウス)でモデルの仕事をしたときに、担当の編集さんに『猪野くん、文章って興味ある?』って聞かれたんです。

それほど興味はなかったけど、『あります』って言ったら、仕事をいただけて。

最初の原稿はパソコンを持ってなかったので、ガラケーで書きましたね。モデルもライターもそうですけど、基本、人に言われたらやるのが僕のスタンスなんです(笑)

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

その後、20代後半に猪野さんの人生を激変させる事件が起きます。

知り合いと立ち上げたアパレルブランドがうまくいかず、借金を肩代わりさせられてしまったのです。

当時ってスタイリストとかモデルがブランドを作ることが多かったんです.

それで知り合いから声かけられたので僕もやってみたら、うまくいかず。そのうえ、会社の借金を抱えることになってしまったんです

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

結局、人間関係も次第にうまくいかなくになり、猪野さんは雑誌業界からフェードアウト。しばらくは周囲とも連絡をとらず、実家に引きこもってしまいました。

30代は倉庫バイトと山登り

両親に迷惑はかけられないので倉庫でバイトをしてました。倉庫と家の往復がルーティーン。

そんな状態が続いてるなか、何度もしつこく連絡してくれた友人がいて。そいつが僕の状況を見かねて、『一緒に山に行こう』と誘ってくれたんです

アウトドアで働く人取材
アウトドアで働く人取材

猪野さんは登山経験ゼロ。登山好きの友人が連れて行ったのは神奈川県にある日本百低山のひとつ明神ヶ岳(標高1169m)でした。

特に人生相談みたいな感じはなく、黙々と登っているうちに、自分がちっぽけなことに気がついたんです。

借金とか、人間関係でずっと悩んでいたけど、小さいなって。それで自然のデカさにハマって、一人でも登山をするようになるんです

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

ひょんなきっかけで登山に没頭していった猪野さん。雑誌や書籍を読み込み、道具を揃え、様々な山に登るようになっていたそうです。

すると、山雑誌の編集さんから、『山に登れるモデルを探している』と声をかけられたんです。

言われたらやるスタンスですので、今度は山系の雑誌でモデルとライター仕事をはじめることになりました。30代の思い出は倉庫と山。国内のある程度の山は登りました

先輩から言われた、YouTubeか? 焚き火か?

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

ファッションからアウトドアの世界にフィールドを変え、再びモデル、ライターとして活動を再開した猪野さん。そこへ、20代の頃にお世話になったという編集者から助言を受けます。

将来のために新しいビジネスを考えろ、と言うんです。でも、アイディアが浮かばない。

すると、YouTubeをはじめるか、実家の土地を使って焚き火をやるか、どっちがいい? と言われまして。

2014年当時はまだYouTubeのハードルが高くて、それなら焚き火をやろうと思って、『たき火ヴィレッジ〈いの〉』を作りはじめました

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

たき火ヴィレッジ〈いの〉」のスペースは、猪野さんのおじい様が造園業を営むために所有していた土地。

現在はお父様と猪野さんふたりで管理していて、敷地内にある東屋や小屋はすべてお父様の手作りというから驚きです。

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

自分にとってこの辺は中途半端な田舎でずっとコンプレックスがあったんですけど、来てくれる人みんなが『いい場所ですね』と言ってくれるのがうれしいですね。

当初は一般開放を考えていたんですけど、今は撮影場所やワークショップのスペースとして、商用利用のみにしています

スタイリストが名付けた「焚き火マイスター」

猪野さんを語るうえで外せない「焚き火マイスター」の肩書ですが、実は名付け親がいるそうです。

ある撮影で火起こしを担当していたら、撮影でよくご一緒するスタイリストの中島貴大さんに『火起こし上手いから、いっそうのこと焚き火マイスターって名乗れば』って言われて。

それ以降、連載しているメディアのプロフィール欄に肩書として書いていたんです。

そうしたらマツコさんの番組に発見されてオファーいただいて。本当にびっくりしましたね

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

その後はテレビや行政からの連絡が急増。焚き火のスペシャリストとして、焚き火の監修やワークショップの企画運営など、仕事の幅が一気に広がったそうです。

多いのはテレビとかMVの撮影といった映像系の焚き火監修。『この時間に来て、焚き火して帰ってください』といわれます(笑)。完全な裏方です。

撮影が終わっても火が沈下するまでは撤収できないので、ロケ地で夜までひとりぼっちなんてこともありました。

行政の仕事は子供向けに焚き火のやり方を教えたり、全国各地でワークショップをやらせてもらっています

あくまでも『火を囲んで焚き火を楽しんでもらう』ことに重きを置いているので、バーナーでも火起こしをします。それで興味を持ってもらい、いろんな方法の火起こしを楽しんでもらえればと思っています

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

今の猪野さんの働き方は、30代の頃とは打って変わっていろいろな人と触れ合っているようですが、「それが一番楽しい」とのこと。

超人間不信になっていたので、その反動で人を好きになってる部分はあると思います。

いままでは接点がなかった業界や地域の方たちに会えるのが、今の仕事の醍醐味ですね

アウトドアで働くということ

「アウトドア業界で働いている人って楽しそうに見えるけど、大変ですよ」と忠告する猪野さん。

自身も、夏の炎天下に焚き火のロケ監修をしていた際、熱中症にかかってしまったそうです。

火傷などの怪我は今のところありませんけど、自然が相手なので本当に体力勝負なところはあります。

アウトドアが好きではじめちゃうと嫌いになっちゃうこともあるから、そこは気をつけてほしいですね。

僕は焚き火は別に好きじゃない(笑)。

好きとか嫌いって、いずれどっちかに傾き、好きでも嫌いでも“苦しく”なってしまうので、何とも思ってないほうが気がラクで、だから仕事として向き合えてる部分もあります

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

オフの日には、関東エリアで開催されている骨董市や古道具屋へ足を運んでいるという猪野さん。2年ほど前から木彫り熊の収集にはまっているそうです。

自宅には一軍が30体、ここにあるのは二軍なんですけど木彫り熊って奥が深くて面白いんです。

焚き火をやっていると木をめちゃくちゃ燃やしてしまうので、逆に手元に残る木工作品っていいなと思ったのがきっかけ。

父親が大きな木を切るときにお清めをするのを見ていて、木への感謝の気持ちを込めて集めています

アウトドアで働く人インタビュー 猪俣さん

自然の力に圧倒されて、人生のドン底から這い上がってきた男、猪野正哉さん。

先日、メンズノンノのモデルを卒業して以来、25年ぶりに「焚き火マイスター」として誌面に登場。積年の想いが叶ったそうです。

うれしかったですね。メンノンのモデルの子たちって撮られ方が昔から全く変わっていなくって。一緒に撮影していて、すごく心地よかったです。

仕事っていろいろありますけど、やってみて合わなかったら辞めればいい。辞めちゃだめってことにこだわると苦しいから、逃げてもいいんですよ。

そのかわり、どこかで戻ってこないとダメですけど(笑)

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