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海に生きる八幡暁の”足元サバイバル”#7~足元にあるアウトドアとは?~(2ページ目)

便利な時代こそ自由な発想が求められる

子供たち

外遊びの情報、自然の情報は、かつてないほど得やすくなりました。遊び方も道具も、便利なものが揃っています。

それなのになぜ、暮らしから自然が離れてしまうのか? また失ったものは何か? 考える必要がある気がしていました。

自分が子供の頃には、道具も遊び方の情報などなくとも遊んでいました。

自由な発想で遊びまくっていたといって良いかもしれません。

周りには監視する大人はいなかったし、遊びのルールは自分達で作っていたのです。(今思えばかなり危ないこともありますが……)

過去を美化するつもりはないのですが、現代とはちょっと様子が違うように感じます。

プラス面があるから自然が必要?

花の前に子供たち

学習塾、サッカー教室などは以前からありますが、スマホやゲームが台頭し、将来になりたい職業の一つに「ユーチューバー」があがっているそうです。ゲームを仕事にする人も出てきています。

一方で、自然環境が子供にもたらすプラスの効果! そんな言葉を聞くこともあります。

子供にとってプラス面があるから遊ばせるということにもどこか違和感がありますが、そうでもしないと外で遊ばないことの裏返しであるのかもしれません。

普段の日常からアウトドア的に過ごす

何が正しいか、正解もないですし、誰にもわからないのですが、身体を動かして遊ぶ、自分の街で遊ぶことが楽しい、そんな時間を子供たちに過ごしてほしいと思っていました。

アウトドアと呼ばれるような大袈裟なことではなく、もっと日常の中で思い切り五感を使って過ごして欲しい……子どもが思い切り遊べる環境作りをしたい。

砂浜に子供たち

わたしが見てきた漁村の多くで子どもたちは自由に遊んでいたのです。

遊びの中から、生きることを学んでいました。

つまり感じて考えて動いて遊ぶことは、生きることにほかならない気がしたのです。

身近な存在から始めてみる

木陰に親子

といっても、わたしは教育の専門家ではありません。

自分の専門でもある海が、その土地の子供にとって遠い場所だとすれば、いきなり連れて行くようなこともできません。

では何ができるのか。自分の家の近くの公園に顔をだして、そこで一緒に遊ぶことからやってみよう。

近所のオジサン、それであれば気負うこともなくできそうです。

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