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輝ける未来は僕らの手の中にある【海に生きる八幡暁の”足元サバイバル”#9】(2ページ目)

海に子どもがいる日常へ

海ではしゃぐ子供たち

美しい海岸のある逗子市といえども、日常的に子どもたちが海にいる光景はあまりみられませんでした。それが今では、週5日、月曜日から金曜日の放課後、海を中心に150人が活動するまでになっています(始めた頃は、クラブ員も数名だったとか)。

もともと、彼が一人で始めたわけですが、そこに行きつく経緯はどうだったのでしょうか。

海と触れあえる環境を根付かせたい

男性

彼自身、大学時代にライフセービング活動を始め、卒業後も海中心の生活。タヒチで黒真珠の養殖業に就いたそうです。

海外で感じたこととして、彼がよく話していたのはビーチクラブの存在。子どもから大人まで、海と触れ合える環境が当たり前という地域を目の当たりにしたのです。

誰でも練習に参加できるカヌークラブがあったり、自然と遊べる機会が文化として根付いていた……。

帰国後、翻って逗子を見たときに十分な環境ではなく「ならば自分で始めよう」という思いからスタートしたそうです。彼自身、子どもが生まれたタイミングで始めたのでした。

1人でも何かを動かせる

「外に出てみて、内を知る。足りてないものを感じる」。日本の外で生きる人々の姿をみて気づくことがあるのです。不足を感じて、1人からでも動き出すには何が必要か。

指南書のようなことは書けませんが、自分ごとを振り返れば大きな目標のようなものはあったとしても、まずは自分にとって無理なく踏み出せる設定をすることが大事な気がします。

周りの評価を得られるとか、凄いことだとか、そういった要素は気にしないことが大事です。それと何を中心に据えているのかを随時確認すること、でしょうか。

そうでないと、やっているうちに何やってるんだっけ? ということになりがちです。

それぞれの想いがやがて交錯

海で輪になる子供たち

永井さんは、まずはクラブとして放課後に子どもたちを海に連れ出すところから始めたのでした。その6年後、石垣島から逗子にやってきたわたしは、周りに知り合いもいなかったので、とりあえず近くの公園に繰り出してみることからのスタート。

やり方は違えど、不思議なもので、それぞれの想いが交錯する日がやってくるのです。

子どもがつながって話が進む

それはひょんなことでした。息子の保育園を探していたのですが、共通の知り合いがいて、初めて顔を合わせた永井さんに相談したことからすべては始まったといって過言ではありません。

うちの子どもと彼の子どもは同い年ということもあってトントンと話は進みます。そして入園。(その幼稚園にもう一人、後に「そっか」の共同代表になる小野寺愛さんもいたのでした)

雑談を繰り返す意味

その後も、何かと一緒になることが多くなるのですが、永井さんと何をしたかといえば、雑談、雑談、雑談でした。別に一緒に何かをしようとしていたわけではありません。

ときには海のこと、社会のこと、幼稚園や子育てのこと。取り立てて計画的に何をしたわけでもないのです。「そっか」の活動を始める前、自分は「水で遊び、水を知る」に入れあげており、目黒川や他の地域へと足を運んでいた時でもありました。(以前の連載に書いたとおりです)

川から海まで、という着想

「幼稚園で何か面白いことできないかね」

「危ない危ないと言って、親たちが近づけようとしない川や海に連れ出せないかな……」

逗子の街の真ん中には川が流れています。その川の流れの数キロ先には海があるのです。

「きっと大人も子どもも川から海まで歩いたことないんじゃない」

「自分たちでペットボトルの浮力帯を作るところからやったらおもしろそうだ。自分達の装備は、できるだけ自前で賄えれば、何か感じるとこもあるんじゃない」

幼稚園のパパ友も合流して、雑談、雑談、雑談。自分達も、幼児を連れて川を何キロも歩かせたことなどないのです。

怪我のリスクもあります。溺れたら? 足を切ったら? 実際にやろうと思ったら、考えなくてはいけないことがたくさんありました。それも雑談の中で行われていきます。

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