スケボーと野球に熱中した少年時代

「子どものころは、アウトドアなんてまったく縁がなかったですね」と、笑いながら話す市ノ瀬さん。
育ったのは埼玉県志木市。野球部で汗を流し、放課後は友達とスケボー。夏の夕暮れまで汗だくで練習し、帰り道でコンビニに寄るのが何より楽しみだったといいます。自然の中でキャンプをするようなタイプではなく、むしろストリートカルチャー寄りだったそう。

高校の頃はスノーボードに夢中。冬になるとゲレンデに入り浸ってましたね
卒業後は調理師専門学校へ進学し、都内のレストランに就職します。しかし朝から深夜までのハードワークに耐えられず、3カ月で退職。
辞めてからは、焼肉屋でバイトしたり、スノーボードのシーズンバイトに行ったり、自由に過ごしていました。正直、この頃は“どう生きていこうかな”って迷っていましたね
フラッと応募したら、CHUMS広報になっていた

転機が訪れたのは24歳。GAPでVMDとして働いていたとき、求人サイトで「CHUMS」の文字を見つけます。
フェスが好きで、“楽しそうだな”というノリで応募しました。深い理由はないんです(笑)
最初は店舗スタッフとして入社しましたが、数年後には広報に異動することになりましたが、PRの経験はゼロ、知識もゼロだったそう。
とりあえずメディアの人に会いまくって、“広報ってどうやるんですか?”って聞きながら覚えていきましたね

当時のCHUMSは認知が定着しつつあった時期で、フェスやアウトドアイベントに積極的に参加することでブランドの存在感を広げていた時代。グッズ制作や会場装飾を自ら手がけ、SNSで発信するなど、地道な積み重ねが次第にファンを増やしていきます。
最初に雑誌に掲載されたときは本当にうれしかったですね。店頭でも手に取ってくれるお客さんがいて。その反響を目の当たりにして、“PRってすごい”と実感しました
独立したら、何気ない会話から仕事が生まれた

12年勤めたCHUMSを退職し、2021年に独立。コロナ禍でのスタートでしたが、Festival LifeのディレクターやフリーPR、撮影ディレクション、イベント運営など幅広く仕事を手がけるようになりました。
運がいいことに営業は一度もしたことがないです。友達や知人との会話の延長で、“ちょっと手伝ってよ”っ声がかかることが多く、それが次の仕事に繋がっています。そんな感じです

アウトドアブランド、ホテル、飲料メーカー、イベント主催者など、クライアントは多岐にわたります。新しい分野の案件も少なくなく、広報だけでなくデザインや現場運営まで担うこともあるといいます。
誰と仕事をするかを大切にするようになりました。なるべく価値観を共有できる人と一緒に仕事をするようにしています。そうやって仕事を選んだら、会社員の頃よりストレスが減って、むしろ成果も出るようになったんです
自宅を改築、夫婦でベーグルショップも

独立と同じタイミングで、市ノ瀬さんは奥様の地元である埼玉県の名栗に移住。自宅を改築し、ベーグルショップ「LOTUS BAGEL」をオープンしました。
妻がメインでやっていて、僕は内装デザインや販促、SNSまわりを担当してます。仕事と暮らしがつながるのはすごく自然でしたね


自宅兼ショップというスタイルは、地域の人との接点も生み出します。常連客との会話が新しい企画のヒントになることもあり、仕事と暮らしが相互に作用しているそうです。
近所の人が“ベーグル屋さんのご主人”として僕を認識してくれるのも面白いですよ。PRやイベントの現場で出会う人とはまた違う関係があって、そこから話が広がることもあります
アウトドア業界で生き残るために必要なことは?

大前提として自然が好きな人。そして、元気と感謝。これは本当に大事です。人として気持ちよく働けるかどうかは大切なことです
市ノ瀬さんは続けて、これからの業界に必要な力としてSNS運用や動画編集、AIリテラシーといったデジタルスキルを挙げます。現場に入れば、若手でもすぐ活躍できる場は多いといいます。

未来の可能性については、ペットと一緒に楽しむアウトドアや、心身を整えるリトリート体験、地域資源を活かしたアドベンチャーツーリズムに大きな広がりを感じているそう。単なる趣味の延長ではなく、産業としての発展性を意識しているのが印象的でした。
それでも、市ノ瀬さんの働き方の軸は驚くほどシンプルです。
結局は、自分が楽しめるかどうか。一緒にいて前向きな気持ちになれる人と仕事をする。それが長く続けるコツだと思います
アウトドア業界を志す人にとって、その言葉はキャリアの指南というより、生き方そのもののヒントになりそうです。




