商人と職人が生んだ価値”燕三条”が世界を席巻。「モノづくり最重要スポット」の実力と背景

2018/03/13 更新

アウトドアに精通した方なら一度はその名を耳にしたことであろう”燕三条”。みなさんはいかにしてモノづくりのまちとして確固たる地位を気づいたのか、知っていますか?調べてみると、そこには興味深い歴史がありました。今回は、その歴史をご紹介します。


アイキャッチ画像提供:スノーピーク

世界に誇る”燕三条”という価値

提供:ユニフレーム
スノーピークや多くのギアの生産地として知られる”燕三条”ですが、なぜそれほど多くのメーカーや技術が集結しているのか不思議に感じている方も多いのでは?

まず広く使われている”燕三条”という名称は駅名として使われているものの正式な地名ではなく、新潟県三条市と燕市をあわせた地域をさす呼称。二つのまちが作り上げる”燕三条”は、モノづくり地域としてブランド価値を確固としています。

なぜ二つのまちが一つの価値を生み出しているのか? その価値はいかにして築かれたのか? 少し調べただけでページをめくる手を止められない、興味深い歴史がそこにはありました。

川の氾濫で農業は困難。さあ、どうする?

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燕三条の歴史を紐解く上で避けて通れないのが「和釘(わくぎ)」の存在。後に連綿と受け継がれていく金属加工産業の原点です。

江戸時代、新潟県内を流れる信濃川は度々氾濫し燕三条周辺では農業が困難でした。農家は副業を模索。江戸から和釘職人を呼び寄せ、農業の副業として広めたのがこの地域での和釘づくりの始まりでした。

この食い繋ぐために始まった小さな一歩が、後に世界に通用する価値創造へ繋がるとは、なんとも痛快で数奇なお話し。


お隣さんの奇跡。商人と職人のマリアージュ

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「お隣さん」といえば、民家やまち、国にいたるまで古今東西いろいろあるもの。とはいえ三条市と燕市は、天候や災害に左右されやすい農業以外の「新たな価値を生み出す」という共通の目的で強く結ばれます。そしてそこに天の配剤が。両市は異なるキャラクターを持ち合わせていました。三条市は職人もいましたが、商人のまちとして、燕市は職人のまちとして、それぞれの分野で非常に高いレベルでした。その両者が力を合わせます。

燕市で育った職人が技術を磨き、三条市の商人が全国に販路を開拓していきます。河川は当時の主要交通道路。氾濫に悩まされる一方、信濃川を利用した流通が発達し、燕三条を出た商品は6日後には関東に届けられた、とも言われています。

この二つのまちによる二人三脚が”燕三条”という「一つの価値」へと収斂していきます。

和釘は伊勢神宮で使用されるほどの価値に

燕三条の和釘製造技術が全国的に脚光を浴びるきっかけとなったことを伝えるエピソードがあります。

神社本庁の本宗、あの伊勢神宮の式年遷宮でのこと。伊勢神宮では約1300年前から20年に一度、正殿や社殿を造り替える「神宮式年遷宮」が行われていました。しかし第61回目となる1993年の遷宮の際、三重県内の技術継承者がいなくなる事態に直面。そこでお声がかかったのが遠く離れた新潟県の三条市でした。

伊勢神宮からの和釘と金具の製造依頼は、職人や地域の人たちにとっても”国の誉”と言える大きな出来事と言えるかもしれません。このチャンスを見事物にしたことで、燕三条のブランド価値が全国規模になっていったきっかけの一つになりました。

軽やかに時代に適応。新たな価値創造へ

提供:スノーピーク
和釘でその名を全国に知られるようになった燕三条。しかし明治初期、時代の流れが大きく変わります。

海外から黒船襲来のごとく洋釘が押し寄せます。機械による廉価で大量生産された洋釘により産業構造が一転、和釘の需要は激減してしまいます。

それでも燕三条は挫けない、そこにはゼロから価値を興した強みがありました。

「俺たちの和釘が売れなくなったってよ」
「じゃあ、別のモン作るか」

そんなやりとりがあったかどうか定かではありませんが、燕三条は信濃川の氾濫を好機に代えたように、今回もピンチをチャンスにできるのか? サバイブしていくには「ニーズのあるモノ」を作る必要がありました。そんな状況を経て、燕三条に消費者目線に立った商品開発が根付いていったのでしょう。

和釘職人は当初、鍬などの農工具や、ヤットコ(鉄ハシ)などの生活用具の金物製造に転じ、さらにその技術を活かし「キセル」、「鋸」や「ナイフ」などの刃物鍛治製造へシフトさせていきます。商人と職人の複合体は、これまで積み重ねてきた価値を時代のニーズに懸命にアジャストさせていきます。

金物製造をバックボーンに、世界レベルのブランドが生まれる

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燕三条の金物製造は瞬く間に国内屈指の産業へといたります。そうした歴史を辿り、キャプテンスタッグブランドを生んだパール金属創業者 高波文雄氏、スノーピークの前身である山井幸雄商店の創業者 山井幸雄氏らが三条市に金物問屋を創業。

この2社につづき、醸成していった国内アウトドアレジャーブームを受けて、ユニフレームブランドを生んだ新越ワークスの前身である新越金網製造工場創業者 山後信二氏も燕市にアウトドア用品販売会社を設立します。


継承される技術と進化する価値

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和釘衰退の後、燕市は煙管づくりも一大産業へと成長させていました。昭和12年には、燕市がなんと全国一の煙管生産地に。それも戦後になると外国産の紙巻きタバコの流入で衰退。現在燕市に残る煙管職人はたった一人となってしまいました。

時代の変革で伝統工芸品が衰えるのは残念ですが、アウトドア用品を含む、現代の道具にその技術は息づいています。またそれ以上に大切な財産が受け継がれているのではないでしょうか。それは常に使い手のニーズを意識した商品開発と、変わりゆく時代にアジャストさせるべく試行錯誤しつづける姿勢です。

燕三条はそうした大いなる遺産を繋ぎ、現在ではその価値を世界に轟かせています。包丁の「藤次郎」は各国にシェアを伸ばし、山崎金属のカトラリーは現在ノーベル賞の晩餐会にも使われるほどに。そしてかのアップルは燕三条の「磨き」の技術を旗艦製品に取り入れました。

燕三条発祥のアウトドアメーカーによるギアが世界で支持されるのには、確かな裏付けがあるのです。

現代のギアに宿る”燕三条”の価値

提供:スノーピーク
知れば知るほどその技術の高さと歴史的背景が興味深い日本発世界レベルの価値”燕三条”。

日本の多くの産業で「海外にもっていかれた」なんて話が多い今こそ、時代をサバイブし価値を継承する燕三条に注目してみてください。そこには日本人が前を向ける歴史とそれを継承した”現在”があります。

足を運ばずとも、全国のショップでその価値が宿る道具(ギア)を手にすることもできます。そこには職人の技と商人の知恵、そしてたゆまぬ進化の結集があります。

次回フィールドでアウトドアギアを使う時には、モノとしての価値を味わい、地域に息づく職人技に想いを馳せてみてください。

 

Tsubame-Sanjyo produced gear has high value matched to the times.

燕三条のギアには時代にマッチした高い価値がある。

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夏野 栄

作家でクリエイター、アウトドアライターでファッションエディター。アウトドア誌やファッション誌で連載するほか、ノベル執筆やプロダクト開発まで幅広く活動。山岳部出身、海育ちのテンカラ師。Tw@nhaeru

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